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鉄甲船




 ヨーロッパで船舶の材料に鉄が使われるようになったのは19世紀に入ってからだ。しかし、これよりはるか以前、日本ではすでに鉄の船が造られていた。織田信長が毛利水軍と戦うために建造した6隻の軍船がそれだ。
 鉄の船といっても、むろん全体が鉄で造られていたわけではなく、実態は木造の船体に約3ミリ厚の鉄板で装甲を施したものにすぎない。しかしその発想は当時、世界に類を見ないもので、同様の鉄甲船がヨーロッパで登場したのは、それから約300年後のクリミア戦争の頃だった。
 詳しい記録が残っていないためその姿は想像するしかないが、2階建ての戦闘用矢倉の上に3層の天守閣を構え、大砲3門にさらに多数の鉄砲を備えたその偉容は、造船技術で当時圧倒的な先進国だったポルトガルの宣教師・オルガンティーノをも驚嘆させたという。
 重い鉄で装甲した巨船が実戦で役に立つはずもないとたかをくくっていた毛利水軍は、木津川沖の海戦で徹底的に打ちのめされた。信長の鉄甲船に、毛利水軍得意の火攻めは通用せず、1貫目玉の巨砲の威力にまったく太刀打ちできなかったのである。
 長篠の合戦で、鉄砲隊三段構えという、やはり世界に先駆けた斬新な戦法を発明した天才・織田信長ならではの大胆な着想の勝利だったが、これには当時の日本の製鉄技術が世界的に見ても高い水準にあったことが関係している。刀や鉄砲の製造に使われた日本独自の「たたら製鉄」の技術は、この頃すでに完成域に達し、巨大な軍船を被うのに必要な良質な鍛鉄を量産する産業基盤がすでにでき上がっていたのである。



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