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桶狭間の戦い合戦場



永禄三年(1560年)五月十二日、駿河・遠江・三河の太守で「東海一の弓取り」と謳われた今川義元は二万五千の軍勢を率いて上洛を開始する。義元は京への通り道に立ちはだかる織田信長を赤子の手を捻るように撃破すべく、五月十四日には曳馬城(現在の浜松)、十五日には吉田城、十六日に岡崎城、十七日に池鯉鮒城、そして十八日には信長本拠の目と鼻の先にある沓掛城に軍を進めて評定を開く。翌五月十九日未明、松平元康(後の徳川家康)が織田方の丸根砦に攻撃を開始。時を同じくして朝比奈泰朝が鷲津砦に攻撃を開始した。

一方、織田信長は明け方に「敦盛」を舞って清洲城を出陣(従う兵は最初七騎、その後結集しても2000程だったという)し、午前八時頃に熱田神宮で戦勝祈願を行った。その後、善照寺砦に入って作戦を練る。

午前十時頃、松平元康率いる三河勢の猛攻により丸根砦は陥落。続いて鷲津砦も朝比奈勢の手に落ちた。

正午過ぎ、織田信長は今川軍に向かって進撃を開始。大きく迂回して今川軍の本隊の背後に回る。(信長は迂回せずに正面攻撃を仕掛けたという説もある)そして午後一時頃、休憩中の今川本隊を捕捉した信長は降り出した豪雨の中、今川義元を急襲し、服部小兵太、毛利新介の両名によって義元は討ち取られて今川軍は総崩れとなった。


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